藤田正道の単独インタビュー

 会いにいける議員 ゴミを拾う議員 スーツを着ない議員 足で声を聞く議員 わかりやすくかみ砕いて話してくれる議員 中途半端に放りださない議員  最後まで面倒をみてくれる議員  お酒を酌み交わせる議員 酔っての失敗談は数知れず…な議員。
 今回のインタビューを終えて、私(レポーター)の頭に浮かんだ藤田正道議員のキーワードです。 このレポートを読んでいただくことで、藤田議員の人となりや目指していることなど、あなたに少しでもお伝えできれば幸いです。

エネルギー問題で矢面に立たされる経歴

──電力総連出身の議員ということで、心がけておられることはありますか?
 一期目の選挙は2011年4月でしたから、直前に起きた東日本大震災はすべての候補者に影響がありました。私のプロフィールではなおさらで、さまざまな誤解を解いたり、説明をさせていただいたり。
とりわけ電力供給の実情と安定供給を支える現場の実態を正しく伝えることを、大事にしてきました。再生エネルギーに関しても、一長一短があり、さまざまな問題を抱えています。発電設備を整えても、送電設備がないとそこでしか使えない。課題は山積みですが、声をかけていただければ、じっくりお話しさせていただきます。

現場の厳しさを見聞してきた労組出身の議員

──労働組合出身ということですが、例えばどのような活動をされてきたのですか?
 一言でいうと、すべての労働者の相談窓口です。会社が潰れそうだ、とか、首を切られそうだ、という不安や問題を抱えている方には組合に参加していただき、組合法に基づいて、経営者と話し合いながら、折り合いをつけていくという仕事です。
会社が生き長らえないと雇用もないので、経営を無視した無理難題をおしつけるような交渉はしません。どうしても倒産を免れない会社であれば、法律通りの解雇予告手当(1ヶ月分の賃金)を払ってもらうことで手を打っていただき、再就職に努力してもらうなど。
──記憶に残る大仕事は?
 2001年の中津競馬場の廃止の際には、最低限の補償が出されるまで、奔走しました。 当時の中津市長がいきなり「赤字なので辞めます」と廃業宣言をしたものだから、中の人は右往左往して、急遽労働組合を作ったから助けてほしいと相談を受けました。
 しかし、他の組合員のみなさんに協力いただくためには、現場の人たちが本当に助けが必要な人たちなのか、現状を正しく伝えなければなりません。そこで、私を含む三人で現地に入り、競馬場内で働き生活している137名から直接面談による聞き取り調査を行いました。
 その結果、競馬場内は仕事場であると同時に生活の場であり、厩舎に暮らす関係者は家族であり競馬場全体がコミュニティであることが分かりました。つまり、競馬場が廃止されるということは、仕事だけでなく家族もコミュニティも失うことになる、という特殊事情が見えてきました。
 これはぜひ多くのみなさんに知って欲しいと思い、聞き取り調査の集約結果と分析を全ての報道機関にその日のうちにファックスしました。すると翌日の朝刊では新聞各社がこれを取り上げてくれました。 私たちも直接聞いた関係者の窮状を訴えながら、カンパのお願いに走り回りました。県の労働局に連合大分から協力のお願いをして、2年間遡って雇用保険をかけさせてもうえるよう国に要請し、市からは解決金を払ってもらう。市議会の積極的な働きもあって、最終的には全員が満足いかないまでも、最低限の補償が行われることとなりました。
 しばらくして会ったある新聞社の記者から「あの調査結果が世論を動かしましたね。市長も連合が余計なことをして、と言っていましたよ。」と話してくれました。
──そのような、労働者の権利を擁護したり、労働条件を改善するために尽力してきた経験は、大きいのでは?
 さまざまな相談の中には、行政はよかれと思ってやっていることでも、現場の人間からしたらありえないということも多くありました。そんな、行政、経営者、労働者、地域住民など、あらゆる立場の方々に会いに行き、声を聞き、さまざまなことを感じてきた経験があるからこそ、意見反映できていることは多いかも知れません。

甘酸っぱい思い出は、初恋ではなく世界平和投稿

──高校生時は将来の夢が「国会議員になる」ことだった?
 高校2年のある日、津久見市日代の公民館の前で調査員に止められて、そう答えたことは鮮明に覚えています。当時は世界平和を実現するために、本気で頑張ろうと思っていたんです。
──合同新聞に呼びかけ投稿をしたことも!?
 「戦争をしたくないと思う気持ちは世界中同じなのに、なぜ戦争が起きるんだろう。それを解決するためにも、世界中の人が仲良くなれば解決できるのではないか。そのために一緒に動きませんか!?」というような内容の投稿をして、電話番号まで載せたんですよ。もちろん1件も電話はかかってきませんでしたけどね。純粋で、真面目な学生でした。マルクス、レーニン、毛沢東、ヒットラー、三島由紀夫、極右極左の深い意味もわからず、本を読みまくっていました。
──今は世界の平和はどうすればいいと?
 米軍海兵隊が訓練する現場を見に行ったりすると、本当に兵士が若いんですよ。10代後半から20代前半の子たちで、親御さんはアメリカにいて、何の因果かこの極東の地で訓練をしている。でも、この子たちが訓練をすることによって、中国、北朝鮮、ロシアなど周りの国々との力のバランスが保たれていると思うと、むげにいろんなことを反対するだけでは解決しないと思うんです。逆にバランスが保たれなくなったら混乱が生じる可能性もある。難しい問題です。

NPO法人マンション管理組合ネットワーク大分

──ご自身の経験をきっかけにNPOまで作ったとは?
 マンションに入って3年目に管理組合の理事長になりました。そこで初めてわかったのは、マンションで何か問題が起きても、当時は市や県にはサポートする相談窓口がないということ。行政に窓口をつくってくれと言ってもいつできるかわからない、他のマンションの人たちも困っているはずだ、と思い立ち、当時の住宅金融公庫主催のマンション管理セミナーの場で立ち上がり「マンション管理について情報交換や相談、勉強しあうネットワーク組織を自分たちでつくりませんか?」と参加さている方々に呼びかけました。「天は自らを助くる者を助く」「人事を尽くして天命をまつ」が私の座右の銘でもあります。誰かがしなければ、と思ったことは自らが実践する。 すると6~7人の方がその場で賛同してくれ、後日会の設立準備会を行うこととなりました。 こうして設立されたのが『大分県マンション管理組合ネットワーク大分』で、その後、法人格を取得しNPO法人となりました。
──会の趣旨は?
そのそれぞれのマンションが健全に運営されることは、県民生活の安定に繋がるものです。そのために各マンションがこれまで解決してきた様々な課題への対処法、ノウハウをみんなで共有しようというのがこの会の趣旨です。
 設立から毎月欠かさずセミナーで勉強と情報交換会を実施し、これまで回数は140回を超えています。現在では、マンション管理士や弁護士、マネープランナーなどの先生方や建築や関連サービス事業者などマンションに関わる関係者相互の連携の場ともなっています。
──昨年は、管理・運営ガイドブックまで作成したとか?
 大分県ではマンションの実態調査が実施されたことがなかったため、まず実態調査をして、共通の課題や改善事例を挙げ、多くのマンションが適正に管理されるようにしましょうと、3年前に事業提案しました。「地域を担うNPO協働モデル創出事業」という県の受託事業として採択され、開始しました。ところが、大分・別府のマンション約700棟を全て回るのは、想像をはるかに超える大変な作業でした。まず地図でマンションがどこにあるか、マンションとおぼしきものを落とし込んでいき、分譲か賃貸かを区別してくことから始めました。
 二人一班に分かれて調査する中で、全国的に問題になっている管理不全マンションがかなりの数あることがわかりました。管理する人がいなくなったマンションは、周囲の方々を危険にさらすことにもなりかねませんが、責任を誰がもつかもわからなくなっています。行政が代執行したとしてもマンションだと1億円近くかかるし、その費用は半分以上はかえってこないですからね。そんな実情を知ると、議員としても、調査結果から考えられるさまざまな問題を、先手先手で税金を使ってでもサポート態勢を作るべきだと思い、県議会の中でも様々な提言を行ってきました。
──震災でのマンション倒壊も問題ですね。
 熊本地震後の状況も見に行きました。特に1階は柱だけで駐車場になっているピロティタイプのマンションの被害が多かった。柱が1本壊れたら住めなくなるわけですから。仮に50戸住んでいるマンションがあったら、その人達の仮設住宅が必要になり、生活支援金を一世帯数百万円払い、マンションの撤去費用も億単位でかかる。そう考えたら、多少の税金を呼び水にしてでも、耐震診断や耐震補強工事を前もって行うことの社会的な重要性もわかります。
──そこでできたのが?
 耐震アドバイザーを無料で派遣する制度が、マンションにも適用されるようになりました。今年度より昭和56年以前に建てられたマンションを対象に、管理組合から要請があれば建築士を無料で派遣してくれます。ぜひ活用して欲しいですね。

大分の焼酎に開眼した、会いに行ける議員

──大分の焼酎、日本酒を多くの人に知ってもらうための展示館「ゆたよい」を始めたきっかけを教えてください。
 豊後高田の酒屋「田染荘(たしぶのしょう)」さんたちが2010年に結成した、大分県産麦焼酎を応援する「豊後麦酎団(ぶんごばくちゅうだん)」との出会いが始まりです。2ヶ月に一度、蔵元さんを市内の居酒屋にお招きして、焼酎造りのこだわり、麦のこと麹のことなどのレクチャーを受け、試飲しながら味わう会で、友人 Hさんに誘われ参加したら「こんなにおいしい麦焼酎が大分にはあったのか!」とカルチャーショックを受けました。
 もともと、県外に出張する時は、晩飯の楽しみのひとつが「地元のお酒や焼酎を飲むこと」でした。鹿児島や宮崎の居酒屋に行くと、地元のお酒ばかりがおいてありますよね。それなのに大分では圧倒的に黒●●ばかりを扱う店が多いことにふと気がつきました。大分においしいのがないのなら仕方ないけど、こんなにおいしい焼酎がたくさんあるのに、おかしな状況でだな、と思うようになりました。
──県のために?
 調べてみると、県内の焼酎の需要は年間120億円ほどもある。また、焼酎は原材料費が単価の6割ぐらいを占めることもわかってきました。例えば、鹿児島や宮崎の芋焼酎を飲んでいる人が、3回に1回でも、5回に1回でも、県産の麦、芋、米などの原材料を使った焼酎に変えるだけで、10億20億のお金が県内に回るようになる。4合瓶千円の焼酎を買ったとすると、精麦・精米費用が1割くらいとすると、県内の農家さんに500円が渡る。農業政策にもすごく重要だということが見えてくる。
 そこで、みんなに大分県産のお酒を知ってもらい、意識を持って飲んでもらえれば、プラスになることも多いと思いました。
──それでNPOを?
 行政でやってもらおうと、議会で質問し提言したら、知事も、観光政策の企画振興部長も商工労働部長も農林水産部長もその通りだというんですけど、そう簡単ではありません。逆に考えると、大分県産の地産地消で大分から他県のものを閉めだすようなことになれば、県外に出ている「いいちこ」や「二階堂」が閉めだされかねない。行政的に音頭を取るのは難しいことがわかりました。
 であればと、党派を超えた議員が中心になり、商店街、酒造組合、酒販組合、卸の方などに声をかけて、NPO法人「大分県地酒・焼酎文化創造会議」を立ち上げました。関係業界の方々に議会にもきていただき、どんな課題を抱えているかの意見交換会も行いました。そこで出た課題は、このNPOで解決していかなければならないと思っています。
──そして試飲スペース「おおいた銘酒館 ゆたよい」がオープン。セントポルタ中央商店街の中心とは、良い場所がありましたね。
  たまたま、なんです。あの場所が空いていたのはよかったのですが、オーナーから「お酒を提供する飲食店はNG」という条件付きの物件でした。展示館ならいいということで、1杯100円で試飲できる今のスタイルに落ちつきました。土曜日の閉館後に蔵元を招く「蔵の語り部」養成講座も、開催は30回を越え、今年の国民文化祭期間中は、県外からのお客さまにも楽しんでいただけるように、10月11月の毎週の金土日に大分銀行赤レンガ館で「おおいた蔵の語り部講座」として全23回開講しています。
──「ゆたよい」に行けば、藤田さんに会えたりしますか?
 開館は土日と祝日の午後1時〜5時まで(10・11月は6時まで、金曜日も3時から7まで)で、友人H氏も含めた3〜4人で交替しながら立ってます。ほぼ毎週館内外で立っているので、会えるチャンスは多いと思います。これまでは、議員だと思っている人はほとんどいないようですが。
──そこで、県政のことなどを質問したり、話してもいいんですか?
 もちろんです。私の活動の柱である3つの約束の一つは「対話主義」であり、地域の方々と直接対話することで始まることは多いです。ぜひ、試飲しながら、お話しましょう。

ゴミの日と日曜日はごみ拾いウオーキング

──ごみ拾いウオーキングって?
私は朝5時頃に起床し、身繕いし、ぐしゃぐしゃの頭に帽子をかぶって大分川沿いをジョギングするのが日課ですが、「燃やせるゴミの日」の毎週月曜と木曜は、地元の金池町2丁目内の道を道端に落ちているゴミを拾いながら1時間歩き回っています。エリアは、10号線の駅前から金池交差点、遊歩公園からコンパルホール前の通り、パルコ前の地下道入口ということになります。 最初はダイエットのつもりで娘を学校へ連れて行くただのウオーキングでしたが、小学校2年生になったら「もう来なくていい、友達と行く」と言われてしまい、だったらゴミを拾おうと、最初は毎日。でもだんだんゴミ拾いをする人が増えたりしてゴミが減ってきたので、今は週2日の燃やせるゴミの日だけですが、もう10年近く続いています。
──日曜日は駅前で?
 毎月百名近い異業種の方々が集まる交流会を主催する「大分県に役立つ楽しい会 (会長 村会佳史)」の例会が毎月市内のホテルで開催されています。こちらの交流会にも時々参加しますが、ルーティーンになっているのは毎週日曜日の「朝清掃部」。毎週日曜日の朝8時から大分駅や高城駅前に赤シャツのメンバーが集まり活動しています。私は月に1・2回は同時間帯に地元消防団の水門点検があり、参加できないこともありますが、ほぼ毎週参加して、様々な職業の方からいろんな話を聞かせてもらっています。
 先日は、障害児の介護施設で働く介護士さんが、西日本豪雨災害の時にそこでは福祉避難所の整備ができておらず、通常の避難所に連れて行ったけれどもトイレが困難で、結局自宅に戻ってもらうしかなかった、という話や、湯布院観光の要となる金鱗湖に行ったら周囲はゴミがいっぱいで、みんなで拾いに行きたいね、という話など、何げない世間話の中にも、取り上げるべき問題はたくさんありますね。

やろうと思った人の背中を押す、スーツに頼らない議員

──人口減少に適応した社会づくりとは?
 人口減少対策では、子育て支援による自然増対策やUIJターンなどの社会増対策が注目されがちですが、一方では、人口が減っても地域での生活や経済活動が維持できるよう、災害などへの備えも含めて準備しておくことも重要です。大分県をもっと安心・安全に、ですね。そして、何よりも大切だと思うのが街や地域の元気であり、いろんなことにチャレンジする人だと思います。大分県をもっと元気に、もっと面白く、です。
 私がこれから特に力を入れたいのは、地域の元気づくりのお手伝いですね。元気づくりには新しいことに挑戦するキーマンが必要です。これまで県内はもちろん全国の地域おこしの現場を見てきましたが、成功しているところには必ず無我夢中で寝食を忘れて取り組む人たちがいる。だから一人でも多くの人にやる気になってもらいたい、やろうと思った人の背中を押したい、そして、やる気を活かせる環境づくりに取り組みたい。「ゆたよい」で毎週立つのも、カンボジアに通ったりするのも、根底にはそれがあります。
 さまざまな場所で知り合った学生や若者たちと連携をとり、やろうと思った時に足を踏み出せる環境をつくってあげたり。県内の大学生たちで作っている「学生交流会」にも顔を出して、繋がりのできたOBの子たちには、他県に就職しても情報を提供したりしています。県外に出た子たちも、キャリアをつんで、将来は大分に戻って事業をしたいと話してくれます。
──カンボジアの話しを少ししていただけますか?
 私の先輩である梶原九州男元県議が現役時代からチャリティ募金を知人が関わっていたNPOを通じてカンボジアの井戸掘りに寄付していたのがきっかけで、先輩の議員活動20周年記念事業として支援者の方々から寄付金を募り、現地に中学校を建設しました。私も記念事業の実行委員長として開校式に同席したのですが、裸足で集まってくる子どもたちのキラキラとした目の輝きがとても印象的でした。その後も県民のみなさんにお寄せいただいた寄付金で井戸を掘ったり、学校をさらに4校(小学校2校・中学校2校)建設したりで、その完成を確認し、その後の運営状況を把握するためにほぼ毎年現地を訪問してきました。
──カンボジアの子どもたちとの交流も?
 最初に建設した学校で先生や村長さんたちと話している中で、子どもたちに日本語を勉強させたいとの要望がありました。そこで、地元の日本語を勉強している大学生に先生として通ってもらい、日本語教室を行っています。その先生を務めた大学生などをAPUに留学生として招き、他のカンボジアの留学生も含めて定期的に交流を続けています。
──最近は外国人技能実習制度で来る若者も増えているとか。
 近年はカンボジアからの技能実習生も増えていて、先ほどの交流会には実習生にも参加してもらっています。技能実習制度は何かと問題が報道されていますが、実はカンボジアの子どもたちのうち中学校を卒業できる子は半分程度で、あとは家の手伝いや子守り、中には違法だけど海外に出稼ぎに行く子もいる。そんな環境から脱してもうためにも日本語を学び、学生や実習生として大分に来てもらい、知識や技術を身につけて、いっしょに大分や母国の元気づくりができればいいなと。
──スーツを着ない議員とは?
 議員だからといって特別偉いわけではありませんし、特別な能力があるわけではありません。皆さんがどんなことをして、何に困っているかを知ることが第一歩だと思っています。今もこれからも、かしこまってスーツを着るのではなく、汗をかきながら、同じ目線で話しを聞いて、政策的に、行政的に、支援する方法が何かないか、また、税金を使わず、自分たちでできることはないか、と考えていきます。
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